食べられませんでした
日本では、「目は口ほどにものを言う」とか「一を聞いて十を知る」 などと言い、伝えたいことを全部言葉にせず、心でわかり合うことが良いと考えられてきました。たとえば、 人と会ったとき、「お出かけですか」とたずねられて、「ちょっとそこまで」と言ったり、 残業が終わって、 「いっぱいどう」と言われて、 「今晩はちょっと」 と言う場面を目にします。しかし、最近は外国に行く日本人や日本に住む外国人がふえ、「日本人ははっきり言わない」とか 「日本語はわかりにくい」 とか言われます。
私は外国でパーティーに行って、 そこのごしゅじんに「何か食べ物を持ってきましょうか」 と言われ、 「いいえ、 けっこうです」 と答えたら、 相手がおどろいたことがあります。「本当に」 と聞かれたので、 「ええ」と答えて、その日は何も食べられませんでした。日本なら、「そうおっしゃらず、何か少しでも」 となるのですが、 そこの生活では自分のほしい物、言いたいことをはっきりと言わなければなりませんでした。そして、相手も言葉で伝えようとしない私の気持ちをわざわざ知ろうとはしなかったのです。
言葉をどんなとき、どのように使うかにも文化があります。人と人が思っていることを伝え合うときに、はっきりと言葉で伝える必要があると考える文化と、日本のように、 全部言う必要はなく、 相手を思いやることでわかり合えると考える文化があります。これはどちらがいいという問題ではなく、ふたつの考え方を知って、 できるだけ正しく伝わるよう、話し方について考えてみることが大切だと思います。
私は外国でパーティーに行って、 そこのごしゅじんに「何か食べ物を持ってきましょうか」 と言われ、 「いいえ、 けっこうです」 と答えたら、 相手がおどろいたことがあります。「本当に」 と聞かれたので、 「ええ」と答えて、その日は何も食べられませんでした。日本なら、「そうおっしゃらず、何か少しでも」 となるのですが、 そこの生活では自分のほしい物、言いたいことをはっきりと言わなければなりませんでした。そして、相手も言葉で伝えようとしない私の気持ちをわざわざ知ろうとはしなかったのです。
言葉をどんなとき、どのように使うかにも文化があります。人と人が思っていることを伝え合うときに、はっきりと言葉で伝える必要があると考える文化と、日本のように、 全部言う必要はなく、 相手を思いやることでわかり合えると考える文化があります。これはどちらがいいという問題ではなく、ふたつの考え方を知って、 できるだけ正しく伝わるよう、話し方について考えてみることが大切だと思います。