Marugoto N2 – Lesson 12: बालबालिका र मोबाइल फोन

शब्दावली

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मुख्य शब्दअर्थ
眉(まゆ)を顰(ひそ)めるभौं तान्नु
名目(めいもく)शीर्षक;नाममात्र
治安(ちあん)सार्वजनिक सुरक्षा;कानून तथा व्यवस्था
認知(にんち)(する)पहिचान गर्नु;स्वीकार गर्नु
圏外(けんがい)क्षेत्रबाहिर
キャラकिरदार;व्यक्तित्व
人格(じんかく)व्यक्तित्व
顧(かえり)みるपछाडि फर्केर हेर्नु
根治(こんち)(する)पूर्ण रूपमा निको पार्नु
錯覚(さっかく)(する)भ्रममा पर्नु
怠慢(たいまん)लापरबाही
性風俗(せいふうぞく)यौन व्यवसाय
心地(ここち)अनुभूति
セキュリティसुरक्षा
享受(きょうじゅ)(する)आनन्द लिनु

व्याकरण

व्याकरण


~ことなく

न ~

◎ 「~ないで」 र 「~ずに」लाई बल दिने रूप।

1. 家族(かぞく)と仕事(しごと)とどっちを取(と)るか聞(き)かれて、彼(かれ)は迷(まよ)うことなく家族(かぞく)と答(こた)えた。
     परिवार र काममध्ये कुन रोज्ने भनेर सोधिएपछि,उहाँले हिचकिचाहटविनै परिवार रोजे।

2. 彼女(かのじょ)は5年間(ねんかん)、一度(いちど)も休(やす)むことなく、毎週(まいしゅう)ピアノ教室(きょうしつ)に通(かよ)った。
     उनी पाँच वर्षसम्म,एकपटक पनि विश्राम नलिएर,हरेक हप्ता पियानो कक्षामा गइन्।


~ざるを得(え)ない

मजबूर भएर ~

◎ लेखनमा 'अरू विकल्प छैन' भन्ने अर्थमा प्रयोग

1. 父(ちち)は事業(じぎょう)に失敗(しっぱい)して、借金(しゃっきん)をせざるを得(え)なかった。
     बुबा व्यवसायमा असफल भई ऋण लिन बाध्य भए।

2. 休(やす)みが取(と)れないので、来月(らいげつ)の旅行(りょこう)はあきらめざるを得(え)ない。
     बिदा लिन नसकिने भएकाले,आउँदो महिनाको यात्रा त्याग्नै पर्छ।


~以上(いじょう)(は)

एकचोटि ~

◎ कर्तव्य/जिम्मेवारी/नियम/सामान्य ज्ञान जनाउँदै 'X भएकाले Y स्वाभाविक' भन्ने अर्थमा प्रयोग

1. 給料(きゅうりょう)をもらっている以上(いじょう)、ちゃんと仕事(しごと)をしなければならない。
     तलब पाइरहेको अवस्थामा भने,ठीकसँग काम गर्नुपर्छ।

2. 約束(やくそく)した以上(いじょう)、守(まも)る義務(ぎむ)がある。
     वाचा गरिसकेपछि,त्यसलाई पालना गर्ने कर्तव्य छ।

पढाइ बुझाइ

   ところで、ケータイの普及(ふきゅう)によってネット・コミュニケーションの場(ば)が急激(きゅうげき)に拡大(かくだい)したことで、子供(こども)たちの人間関係(にんげんかんけい)の実態(じったい)が見(み)えづらくなり、眉(まゆ)をひそめている大人(おとな)たちも多(おお)いことでしょう。しかし、よく考(かんが)えてみれば、子供(こども)の安全(あんぜん)を守(まも)るという名目(めいもく)でいま進(すす)められているケータイ対策(たいさく)も、じつは環境管理(かんきょうかんり)型(がた)の治安対策(ちあんたいさく)と同(おな)じ発想(はっそう)から生(う)まれているものではないでしょうか。
   フィルタリング機能(きのう)の提供(ていきょう)を事業者(じぎょうしゃ)に義務(ぎむ)づける有害(ゆうがい)サイト規制法(きせいほう)が、2009年(ねん)4月(がつ)に施行(しこう)されました。ここで規制(きせい)の対象(たいしょう)とされる有害(ゆうがい)サイトとは、子供(こども)たちの健全育成(けんぜんいくせい)にとって不都合(ふつごう)で異質(いしつ)なものと、私(わたし)たち大人(おとな)たちが判断(はんだん)したものです。そこへのアクセスの規制(きせい)とは、有害性(ゆうがいせい)の中身(なかみ)について子供(こども)たち自身(じしん)に考(かんが)える機会(きかい)を与(あた)えることなく、認知(にんち)の対象(たいしょう)に入(はい)らないように圏外(けんがい)へ押(お)し出(だ)してしまうことです。子供(こども)たちの健全育成(けんぜんいくせい)にとって、このような対策(たいさく)が有効(ゆうこう)であると考(かんが)えるのは、固定的(こていてき)で単純(たんじゅん)なキャラとして彼(かれ)らの人格(じんかく)を捉(とら)えているからではないでしょうか。
   私(わたし)は、ケータイの使用規制(しようきせい)に対(たい)して、一概(いちがい)に反対(はんたい)を唱(とな)えているわけではありません。出会(であ)い系(けい)サイトなどで被害(ひがい)にあう子供(こども)たちがいる現状(じょうたい)を顧(かえり)みれば、応急措置(おうきゅうそち)としての有効性(ゆうこうせい)は認(みと)めざるを得(え)ないでしょう。しかし、あたかもそれが根治療法(こんちりょうほう)であるかのように錯覚(さっかく)し、規制(きせい)をかければそれでことがすべて足(た)りるかのような認識上(にんしきじょう)の怠慢(たいまん)に陥(おちい)ることは避(さ)けなければなりません。
   人間関係(にんげんかんけい)を維持(いじ)するための道具(どうぐ)としてケータイが使(つか)われている以上(いじょう)、その使用規制(しようきせい)は、単(たん)に性風俗などの望ましくない成人情報のファイルタリングだけでなく、学校裏(がっこううら)サイトなど、大人(おとな)が望(のぞ)ましくないと考(かんが)える人間関係(にんげんかんけい)のファイルタリングへと拡張(かくちょう)されていきがちです。では、そのような「教育的(きょういくてき)」措置(そち)は、心地(ここち)よい類(るい)ともだけとつながろうとする子供(こども)たち自身(じしん)の人間関係(にんげんかんけい)のフィルタリングと、いったいごとが違(ちが)うといえるでしょうか。そもそも私(わたし)たちは、セキュリティを強化(きょうか)しさえすれば、安全(あんぜん)で快適(かいてき)な生活(せいかつ)を享受(きょうじゅ)できるのでしょうか。

(土井(どい)隆義(たかよし)『キャラ化(か)する/される子供(こども)たち排除(はいじょ)型(がた)社会(しゃかい)における新(あら)たな人間像(にんげんぞう)』岩波(いわなみ)ブックレットより)

CHECK
Q1 それとは何(なん)のことですか。
Q2 この文章(ぶんしょう)で筆者(ひっしゃ)が言(い)いたいことは何(なん)ですか。

☞ अनुवाद
   
ところで、ケータイの普及(ふきゅう)によってネット・コミュニケーションの場(ば)が急激(きゅうげき)に拡大(かくだい)したことで、子供(こども)たちの人間関係(にんげんかんけい)の実態(じったい)が見(み)えづらくなり、眉(まゆ)をひそめている大人(おとな)たちも多(おお)いことでしょう。
यस्तैमा, मोबाइलको व्यापक प्रसारले अनलाइन संचारका क्षेत्र तीव्र गतिमा विस्तार भएपछि, बालबालिकाका सम्बन्धहरूको वास्तविक स्थिति देख्न गाह्रो भएको छ र चिन्तित भएका वयस्कहरू पनि धेरै हुनु स्वाभाविक हो।
しかし、よく考(かんが)えてみれば、子供(こども)の安全(あんぜん)を守(まも)るという名目(めいもく)でいま進(すす)められているケータイ対策(たいさく)も、じつは環境管理(かんきょうかんり)型(がた)の治安対策(ちあんたいさく)と同(おな)じ発想(はっそう)から生(う)まれているものではないでしょうか。
तर, राम्ररी विचार गर्दा, बालबालिकाको सुरक्षा जोगाउने भनेर अहिले अघि बढाइरहेको मोबाइल सम्बन्धी उपायहरू पनि वास्तवमा वातावरण व्यवस्थापन प्रकारका सार्वजनिक सुरक्षा रणनीतिहरूको सोही सोचबाट उत्पन्न भएका होइनन्?

   
フィルタリング機能(きのう)の提供(ていきょう)を事業者(じぎょうしゃ)に義務(ぎむ)づける有害(ゆうがい)サイト規制法(きせいほう)が、2009年(ねん)4月(がつ)に施行(しこう)されました。
सेवा प्रदायकलाई फिल्टरिङ सुविधा उपलब्ध गराउन अनिवार्य बनाउने हानिकारक-साइट नियमन ऐन २००९ सालको अप्रिलमा लागू भयो।
ここで規制(きせい)の対象(たいしょう)とされる有害(ゆうがい)サイトとは、子供(こども)たちの健全育成(けんぜんいくせい)にとって不都合(ふつごう)で異質(いしつ)なものと、私(わたし)たち大人(おとな)たちが判断(はんだん)したものです。
यहाँ नियमनको लक्ष्य बनाइएका हानिकारक साइटहरूले भनेको, बालबालिकाको स्वस्थ विकासका लागि अनुपयुक्त वा असंगत ठानिएका सामग्री र हामी वयस्कहरूले त्यस्तो ठानेका कुराहरू हुन्।
そこへのアクセスの規制(きせい)とは、有害性(ゆうがいせい)の中身(なかみ)について子供(こども)たち自身(じしん)に考(かんが)える機会(きかい)を与(あた)えることなく、認知(にんち)の対象(たいしょう)に入(はい)らないように圏外(けんがい)へ押(お)し出(だ)してしまうことです。
त्यस्तो साइटमा पहुँच नियन्त्रण भनेको, तेस्ता सामग्रीको हानिकारकता के हो भनी बालबालिकालाई आफैं विचार गर्ने मौका नदिइकनै, तिनीहरूलाई पहिचानको क्षेत्रभित्र नपार्ने गरी बाहिर धकेल्नु हो।
子供(こども)たちの健全育成(けんぜんいくせい)にとって、このような対策(たいさく)が有効(ゆうこう)であると考(かんが)えるのは、固定的(こていてき)で単純(たんじゅん)なキャラとして彼(かれ)らの人格(じんかく)を捉(とら)えているからではないでしょうか。
यस्ता उपायहरूले बालबालिकाको स्वस्थ विकासमा प्रभावकारी छन् भनी सोच्नुको कारण हामीले उनीहरूको व्यक्तित्वलाई स्थिर र सरल चरित्रको रूपमा हेरेको त होइन?

   
私(わたし)は、ケータイの使用規制(しようきせい)に対(たい)して、一概(いちがい)に反対(はんたい)を唱(とな)えているわけではありません。
म मोबाइल प्रयोग नियन्त्रणको विरुद्ध सधैं विरोध गरिरहेको छैन।
出会(であ)い系(けい)サイトなどで被害(ひがい)にあう子供(こども)たちがいる現状(じょうたい)を顧(かえり)みれば、応急措置(おうきゅうそち)としての有効性(ゆうこうせい)は認(みと)めざるを得(え)ないでしょう。
मिल्ने साइटहरूजस्ता कारणले हानि भोग्ने बालबालिकाको अवस्थालाई हेर्दा, आकस्मिक उपायको रूपमा यसका केही प्रभाव स्वीकार गर्नै पर्ने हुन्छ।
しかし、あたかもそれが根治療法(こんちりょうほう)であるかのように錯覚(さっかく)し、規制(きせい)をかければそれでことがすべて足(た)りるかのような認識上(にんしきじょう)の怠慢(たいまん)に陥(おちい)ることは避(さ)けなければなりません。
तर, त्यो नै मूल उपचार हो भन्ने भ्रममा पड़ी, नियम लगाएपछि सबै कुरा पूरा हुने जस्तो धारणा सम्बन्धी सुस्ततामा पर्नुबाट जोगिनुपर्छ।

   
人間関係(にんげんかんけい)を維持(いじ)するための道具(どうぐ)としてケータイが使(つか)われている以上(いじょう)、その使用規制(しようきせい)は、単(たん)に性風俗などの望ましくない成人情報のファイルタリングだけでなく、学校裏(がっこううら)サイトなど、大人(おとな)が望(のぞ)ましくないと考(かんが)える人間関係(にんげんかんけい)のファイルタリングへと拡張(かくちょう)されていきがちです。
मानव सम्बन्धहरूलाई कायम राख्नका लागि उपकरणको रूपमा मोबाइल प्रयोग हुँदै आएको हुँदा, यसको प्रयोग नियन्त्रण केवल यौनसम्बन्धी जस्ता वयस्क सामग्रीको फिल्टरिङमा मात्र सीमित नहेरी, विद्यालयका पछाडिका साइटहरूजस्ता वयस्कहरूले अनुपयुक्त ठान्ने सम्बन्धहरूको फिल्टरिङसम्म विस्तार हुँदै जाने प्रवृत्ति हुन्छ।
では、そのような「教育的(きょういくてき)」措置(そち)は、心地(ここち)よい類(るい)ともだけとつながろうとする子供(こども)たち自身(じしん)の人間関係(にんげんかんけい)のフィルタリングと、いったいごとが違(ちが)うといえるでしょうか。
तर, त्यस्ता 「शैक्षिक」 उपायहरूलाई हामी ती बच्चाहरूले आफ्नो लागि सहज ठानेका समरूप साथीहरूसँग मात्र जोडिन खोजेर गर्ने आफ्नै मानवीय सम्बन्धहरूको फिल्टरिङ्गभन्दा साँच्चै फरक भन्छौँ भन्न सकिन्छ?
そもそも私(わたし)たちは、セキュリティを強化(きょうか)しさえすれば、安全(あんぜん)で快適(かいてき)な生活(せいかつ)を享受(きょうじゅ)できるのでしょうか。
सर्वप्रथम, के हामीले सुरक्षा मात्र कडा बनाइदिएपछि सुरक्षित र आरामदायी जीवन उपभोग गर्न सक्छौं?


(土井(どい)隆義(たかよし)『キャラ化(か)する/される子供(こども)たち排除(はいじょ)型(がた)社会(しゃかい)における新(あら)たな人間像(にんげんぞう)』岩波(いわなみ)ブックレットより)
डोई तकायोशी『キャラ化する/される子供たち排除型社会における新たな人間像』इवानामी बुकलेटबाट


CHECK
Q1 それとは何(なん)のことですか。
      त्यो भनेको के हो?
An 有害(ゆうがい)サイト規正法(きせいほう)、フィルタリング機能(きのう)。
      हानिकारक वेबसाइट नियमन कानुन,फिल्टरिङ सुविधा।

Q2 この文章(ぶんしょう)で筆者(ひっしゃ)が言(い)いたいことは何(なん)ですか。
      यस पाठमा लेखकले के भन्न खोजेका हुन्?
An  フィルタリング機能(きのう)によって、子供(こども)たち自身(じしん)で考(かんが)える機会(きかい)を与(あた)えず、子(こ)どもたちから隠(かく)すことで解決(かいけつ)しようとする考(かんが)え方(かた)は疑問(ぎもん)だ。
      फिल्टरिङ सुविधामार्फत बालबालिकालाई आफैंले सोच्ने अवसर नदिई, उनीहरूबाट लुकाएर समस्यालाई समाधान गर्न खोज्ने सोच शङ्कास्पद छ।