중간 길이 글 독해 – 문제 8

問題2-8


   じつは、私(わたし)たち自身(じしん)も見(み)えていないことに気(き)づかないことがある。「見(み)えないことに気(き)づかない」というのは、ごくふつうのことなのだ。
   例(たと)えば、この本(ほん)を読(よ)んでいるときの眼球運動(がんきゅううんどう)。改行(かいぎょう)して次(つぎ)の行(ぎょう)の文章(ぶんしょう)を読(よ)むとき、私(わたし)たちの頭(あたま)の中(なか)では、あたかも文章(ぶんしょう)がつながっているかのように感(かん)じている 。しかし、行(ぎょう)の最後(さいご)と次(つぎ)の行(ぎょう)のはじめとは距離(きょり)がある。この距離(きょり)はどこに跳(と)んで行(い)ってしまったのだろう。
   読書中(どくしょちゅう)の眼球(がんきゅう)運動(うんどう)を実際(じっさい)に計測(けいそく)してみると、ふつうに文字(ぶんじ)を読(よ)んでいるときは読(よ)みの速(はや)さに合(あ)わせたゆるやかな眼球(がんきゅう)運動(うんどう)が、そして改行(かいぎょう)のところで、非常(ひじょう)に急速(きゅうそく)なサッケードと呼(よ)ばれる眼球運動(がんきゅううんどう)がおこっているのが観察(かんさつ)される。
   重要(じゅうよう)なことに、サッケード中(ちゅう)、眼(め)に入(はい)った映像(えいぞう)は見(み)ることができない。もし見(み)えたとしたら、あまりにも速(はや)い眼球(がんきゅう)の動(うご)きに、本(ほん)を読(よ)む前(まえ)に気持(きも)ち悪(わる)くなってしまうことだろう。サッケード中(ちゅう)の映像(えいぞう)だけ切(き)り捨(す)てられ、サッケード前後(ぜんご)の映像(えいぞう)がつなぎ合(あ)わされて見(み)えているのだ。
   つまり、眼(め)に入(はい)った映像(えいぞう)すべてが見(み)えているわけではないのである。

(山口(やまぐち)真美(まみ)『視覚(しかく)世界(せかい)の謎(なぞ)に迫(せま)る 脳(のう)と視覚(しかく)の実験(じっけん)心理学(しんりがく)』講談社(こうだんしゃ)による)


問題(もんだい)1 あたかも文章(ぶんしょう)がつながっているかのように感(かん)じている のはなぜか。
1.眼(め)が、文章(ぶんしょう)がつながっていると勘違(かんちが)いするから。
2.改行中(かいぎょうちゅう)は無意識(むいしき)に眼(め)を閉(と)じているから。
3.眼(め)で見(み)た文章(ぶんしょう)を脳(のう)が映像(えいぞう)にするから。
4.眼(め)が特殊(とくしゅ)な動(うご)きをするから。

問題(もんだい)2 この文章(ぶんしょう)の内容(ないよう)と会(あ)うものはどれか。
1. 文章(ぶんしょう)を読(よ)むとき見(み)えない部分(ぶぶん)があると、気分(きぶん)が悪(わる)くなる。
2.文章(ぶんしょう)を速(はや)く読(よ)むには、眼(め)の動(うご)きも速(はや)くするとよい。
3.眼球運動(がんきゅううんどう)には、一定(いってい)の速(はや)さを保(たも)つ性質(せいしつ)が見(み)られる。
4. 脳(のう)は、見(み)なくてもいい情報(じょうほう)を見(み)ないようにしている。

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